2001年3月17日(土)鹿屋文化会館 85公演目☆ 開場18:00 開演18:30

 
<セットリスト> →日変わり曲

    Overture "STARS"
M1  Northern Lights 〜輝く君に
M2  夢伝説
M3  今夜だけきっと
M4  木蘭の涙
M5  夜更けのリフ
M6  会えないよ
M7  ふるさと★ア・カペラ
M8  マシュ・ケ・ナダ(MAIS QUE NADA)大ア・カペラ
M9  不思議なチ・カ・ラ ★ア・カペラ
M10 Stay My Blue〜君が恋しくて〜
M11 トワイライト・アヴェニュー
M12 追憶
M13 ラッキーレインスタッフリクエスト/「TO YOU〜夢伝説」より
M14 夕暮れのスケッチスタッフリクエスト/「TO YOU〜夢伝説」より
M15 What is Love? 
M16 WHAT A WONDERFUL NIGHT
M17 No! No! Lucky Lady
M18 Goin' Back To 1981
M19 ふたり

EC1 クレイジーラブ
EC2 銀座カンカン娘
EC3 東京(鹿屋)ブギウギ 
EC4 Stars


【開演18:39/終演21:46】

<お衣裳>

【寺田さん】ワインカラーのシャツ、赤のパンツ。
【健ちゃん】オレンジ系?の柄シャツ、光沢のあるブルーのパンツ。銀のスニーカー。
【要さん】黒のフリル付ブラウスに白の丈長のジャケット、ボルドー色のパンツ。赤のスニーカー。
【柿沼さん】マオカラーの白いジャケット、黒いパンツ。黒い靴。
【VOHさん】茶系の花柄シャツ。インナーに黒のタンクトップ。茶系?のパンツ。

鹿屋(かのや)は鹿児島市から錦江湾を垂水(たるみず)フェリーで渡って約40分。午前中の雨は午後からは上がっていたが、進行方向左手に構える桜島は、二合目辺りからどんよりと分厚い雲がかかっていて、その全景が見えない。が、海面からうすっすらと半円の虹がかかり、ライヴへの嬉しい前兆のようだ。垂水から鹿屋の会場まで車で約40分弱。
 開場まで外で待たなければならず、会館前にはたくさんの人。
会場は2階まであり、全1164席。2階とはいえ結構前の方にせり出ていてステージに近い感じがした。開演前、気付くと立ち見のお客さんが多勢いた。


18:39
ステージには緞帳無し。「Overture“Stars”」SEが流れ始め暫くすると、メンバーが左袖から登場し、それぞれ楽器の位置につき、演奏が始まった。だが要さんだけが一向に出てこない。もう曲終ってしまう…と思ったら、やっと要さん登場。間髪入れずに「Northern Lights 〜輝く君に」。イントロで悲鳴のような歓声がおこり1曲目から総立ち。「夢伝説 」「今夜だけきっと」と最初から飛ばしていた。
 3曲歌ったところで要さんステージの後ろへ。ギターを置いたかと思ったら、右袖からスタッフの方が出てきて、二人かがんだ状態で何やらごそごそやっている?。

「ようこそいらっしゃいました〜!さっき楽屋出たとこで扉と間違って鏡にぶつかって…扉だと思ったら俺がいるんだよ」(爆笑)
見ると右手にブルーの冷却剤?顔には、左眉じりに縦に絆創膏が貼ってある。
VOH林さんが要さんの顔を覗きこみ「血は止まっているし大丈夫みたいね」と母親のような言い方。
「血が止まるのは俺、速い。血小板が人の3倍位ある…」
後で、連れや人の話などから、サングラスを忘れて楽屋に取りに行き慌てていたのか、扉と間違い鏡に左半身を激突。その時右手も痛めたか?で、冷却剤は右手そのものを冷やしていたらしい。てっきり額を冷やす為かと思っていた。なぜならその後、演奏には何も支障など感じなかったから。
 前の方だったので要さんの左手の動きや、足元にあるフットペダルを踏んだ時の音とか気になって、見ていた。その手の白い事。後方席だと全体の雰囲気や様子、照明など楽しめるし、前だとまた別の楽しみも味わえた。寺田さんのドラムの足の動きと一緒にズンズン響いてくる音も刺激的。
 
昨年、ツアーの最初の頃、鹿児島市でのライヴでは要さんは「林家ペーです」とピンクの衣裳で言っていたが、今日は違うので「ペー」は無し。黒のフリル付きブラウスにボルドー色のパンツ、ジャケットは長めで、白衣のような衣裳。長いジャケットが、またかっこいい。

鹿屋は1984年12月29日以来で5931日振り。やっと来れたと嬉しそう。
「こんなに盛り上がると、流血したし、ボクサーのようだ」
(それ聞いて思わず、ファイティング根本、と呼びそうになった私…嘘です:失礼。)

「木蘭の涙 」ツアー中に変ったというアレンジは、癒し系というか穏やかで、悲しすぎない感じの「木蘭の涙 」で好きだった。
 メンバー紹介のコーナーでは捻挫の街、鹿屋という理由でお題は「痛み」
*1984年鹿屋でスタッフが打ち上げ後、重度の捻挫をしたのに笑っていた。泥酔していたから。そのエピソードが「Down The Road」という歌にもなったという訳。当日は残念ながらこの曲は演奏されなかった。
お題「痛み」と聞き、VOHさん、頭をひねっている。

柿沼さん:まず右袖口より、花を続け様に3本マジックで出す…会場大喜び!
(昨年まではやっていなかったのに、いつの間にこんな技を習得されたの?)
 沖縄に行ってジエットスキーから落ちたら、裸足だったので思いっきり、うにを踏んづけて足じゅう針が刺さってしまった。そこまではいいんですが、、
要さん:よくないよ!
柿沼さん:針が中まで入って取れなかった。中にある膿んだ?部分を取り除く為の太い注射を打ち、さぐり?取りだす…そのブシュ、グリグリ、ギューッという作業が痛かった。

健ちゃん:特にないですね…。楽屋で眉毛や鼻毛を抜いて、痛かった。

寺田さん:胃にピロリ菌を持っていて胃潰瘍になるんで痛かった。
要さん:寺田は我慢強い。ドラムを叩いていて、椅子の上部が取れてしまったのにずっと堪えていた。なぜ解ったかというとお尻に椅子の棒部分が突き刺さっていたまま歩いてきた。(笑)

VOHさん:鹿屋に初めて来た頃は、髪が額の生え際、そりこみの辺りにもあって…
それを考えた時、心が痛かった。(柿沼さん、VOHさんの背後に歩み寄って見て後頭部をじっと見るので会場から笑いが。)

鹿屋の歌が実はある。それは…♪うさぎ追いし「かのや]ま〜♪という訳で日替りア・カペラは 「ふるさと」健ちゃんが例の声が歪むマイクを持って登場!パチンコ屋の案内のようにまくしたて、客も涌く。
ここでパチンコマルエイという地元ネタも登場。健ちゃんのマイクで「携帯が鳴っています」という要さんの、ジャケット内ポケットに入っていた携帯から本当に鳴っていた。「もしもし…曲行けって」
で、いよいよ
大ア・カペラ 大会
「マシュ・ケ・ナダ(MAIS QUE NADA)」だが、私としては初の左寄りで健ちゃんと寺田さんの指導の元、コーラスパートを歌う。歌い終ると大歓声。
要さん「おまえら最高〜!」
ア・カペラ 「不思議なチ・カ・ラ」と続く。
「Stay My Blue〜君が恋しくて〜」のラスト、健ちゃんのピアノ(鍵盤ハーモニカだったかな?)フレーズをなぞり、同じ音を要さんがギターで弾いてちょっとミニセッションみたいで、ギターの音色もこんな音が出せるのだと聴きいってしまった。
 

<スタッフリクエスト>

ミニチュアツアートラックがスタッフからの手紙を乗せて登場。
要さんが読み上げる手紙は、横からちらっと見えたがワープロ文字でびっちり書いてあった。

ーWe love 焼酎 森伊蔵!高級なのであまり飲めないが、という解説付き。
鹿児島には、1983年、初めて来たのが灰神楽というライヴハウス。以後
1984年鹿屋、枕崎、1985年「THANK YOU」ツアーからずっと来ている。
1984年鹿屋に来た当時リリース中のアルバムという事で
「TO YOU〜夢伝説」からの2曲は…
「ラッキーレイン」「夕暮れのスケッチ」(この曲は特に自信がないのか2番の歌詞をまず暗記。)
要さんが一番うろたえていて、マイク2,3歩手前で暫し棒立ちのまま笑っていてなかなか歌に行けずにいた。

<土曜ドラマスペシャル/世にも奇妙な恋物語>

ロミオ君の家は札元(ふだもと)のオートバックスなどがある鹿屋バイパス沿いで、ファミリーマートを経営。ジュリちゃんの家は鹿屋バイバス沿い、ロミオ君の家向かいで、ローソンを経営している。
BMWでないと嫌だって事で鹿屋自動車学校(教習車はBMWとTVCMをしている自動車学校)で、二人は偶然出会い、帖佐の試験場まで行って免許を取得。
初デートは佐多岬までドライブ。夕暮れになり、269号線を通り、大根占(おおねじめ)の神川大滝?を過ぎた辺りで車がエンスト。
二人でガソリンを買いに行く。海風にさらされながら、見上げると満月…
「またドライブに行きたいね、どこがいい?」「バラ園」
(この地元ネタの時もしやカンペを見てる?かのように、要さんの視線がモニターへちらちら…という目撃情報もあり:笑)

クライマックス、ノリノリ曲へと突入。
日替りGOGO曲は「Goin' Back To 1981」
 

ーENCOREー

「クレイジーラブ 」「銀座カンカン娘」
 「東京ブギウギ」この曲の途中で要さんが、「♪まだまだ続くぜ〜これから激しいぜ〜ついてくるかい〜?」てな事を言い「♪手首を回して、足首回して、ついでに頭も〜〜〜」といいつつ首を回すので、マイクの前に来た時だけ声を拾い♪も〜お(笑)
「ドップラー効果といいます」これが面白くて、要さん自身も気に入ったのか何度もやっていた。

なりやまぬ拍手、歓声に要さん「おまえらおかしいんじゃないの?」と土下座する一幕も。

ラストは気付けばメンバー、すごい汗!熱気もあったけど暑かった。ブルーのタオルで顔の汗を拭いていた健ちゃんは、しまいにはバカボンのパパのように頭にタオルを巻き付けていて、笑いがおこっていた。男性の野太い声で「柿沼さ〜ん」と掛け声がかかると満面の笑顔で手を振って応える柿沼さん。
要さん:「柿沼さん、て、さんはいらないじゃないか」すると「VOHさ〜ん」と続々とメンバーへの声がかかるが、結構男性の声が目だっていた。

鹿屋ライヴ前日、街を歩いていたら信号待ちの車から人が出てきて「要さん けぇ〜?」(会場大爆笑!注:「要さんですか〜?」)と声をかけられたそう。
花屋のお兄さんには「明日、ライヴ行けないんです」とサインを頼まれた紙が葬式用の物だったとか。

左肩をぐるぐる回しながら「(鏡に衝突して)まだ痛いけど、おまえらと一緒だと痛くないんだよ」と言う要さんの笑顔と言葉がとても印象的だった。
「夢で逢いましょう」と投げキッスをしながら帰っていく要さん、メンバーのとびきりの笑顔でもう最高に幸せだった。
ーーーーーーーstardust☆revueーーーーーーーstardust☆revueーーーーーーーstardust☆revueーー
プチ感想/昨年から続く1年ものツアーになると最初の頃とは曲目も少し変ったり、要さんのアコギ、小さめのこげ茶色(Takamineのギターで、下部分が流線型にカットされている)に変っていた。鹿屋は1164席のところ、立ち見の方もたくさんいらっしゃって、要さん曰く1237人のお客さんだったそう。熱気ですごい盛り上がりだった。
「また来るぜ!」といいつつ、その為の方法として、ヒット曲が出る事!とも言っていたっけ。今年こそ!でも売れてこれ以上チケットが取りにくくなると困るなあ、なんて複雑な気持ちもある。(笑)もう鹿屋で打ち止め…と満足したはずなのに、またライヴに行きたくなっている・・・。


 ☆読んで頂きありがとうございました!by 苑生


鹿屋チケット 鹿屋のチケットです。こんなチケットだと捨てられません。

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